2003年 酸ヶ湯温泉から恐山へ

瀬谷こけし
 10月12日は午前中しばらく酸ヶ湯温泉に滞在して、棟方志功関連の写真を見ていたようだ。ここの温泉は温泉の効力についてよく分かっているようで、浸かり方の説明に、出てから一時間以上は横になって休むのがいいと書いてあった。その間に温泉の霊が体のなかで働きまわるのだ、というような説明が書いてあった。この説明がいい。小さな霊、小さな神様、--- そうだ、温泉の霊もスクナヒコナの神なのだ、と思い付かせてくれた。このころわたしは芸術文化学科の教員をしており、卒業論文を指導している学生に、発酵食品、とりわけ味噌について研究している者があった。酒もそうだが発酵による食品加工には小さな神様であるスクナヒコナが働いていると考えられて来たのではないか、というのがわたしの考えていることだった。その学生はもう少し実証的に、民俗学的な方向で研究をすすめたので、わたしのこの着想の文献上の要点を活かしてくれなかったのだが、小さな神の有り難い働きを、わたしはこの酸ヶ湯温泉の「温泉の霊」という考えの中にも発見した気持ちになったのだった。
 その後、恐山に行った。親しくしていた長野隆が亡くなったのは2000年のことだった。わたしにとっては、津軽は長野の印象の強く残るところだ。そして恐山には、長野との間で、小さな因縁があった。一度彼を呼ばなかったことがあるのだ。
 その後、長野が恐山に行ったのかどうかを今わたしは忘れてしまっている。結局行かなかったのでないかとのではないかと思うが。弘前に住みつつも、恐山だけは、遠くに置いておくという態度を、彼は漏らしたことがある。だがよい機会があれば行きたかったようだ。そのへんの微妙なところは、小説でないと書きにくい。2003年の旅でもわたしはひとりで行っている。12日の夜は、田名部の「水月旅館」に泊まったようだ。そこで、女将から、イタコさんたちの連絡先一覧を教えてもらっているのだ。そこには、大祭以外の日にイタコの口寄せを希望する場合は、八戸市尻内町の三浦喜蔵に連絡せよと書いてあった。
 12日に水月旅館に泊って、翌13日も恐山を歩き、そして尻屋崎にも行った。
 (カメラはデジタルのLumixFZ-1)


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斉藤スエさん
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