昨日沖浦塾へ行った

昨日沖浦塾へ行った。ずっと案内が来なくて、体調でも崩してらっしゃるのかと思っていたが、お会いしたらまったく元気なご様子だ。案内が来なかったのは、家のfaxが故障していて、受信できなかったためのようだ。これからは葉書で案内をいただくことにした。
久しぶりの受講だったが、何といったらよいのだろう、破天荒のおもしろさだ。何か人生を変えさせてくれるような気がする。わたしも、普通の市民をやめて、沖浦二世を継ごうか、という気になった。
話のテーマは「江口の遊女」だが、八方からでてくる材料が、ただひとつのことに集斂してゆく。それはクロス・カルチャーの神的な場所がここだ、という思想だ。大江匡房の『傀儡子記』と『梁塵秘抄』を主な材料としており、どちらもわたしには馴染みのものだが、それを集斂させてゆく力がすごい。いつの間にか引き込まれている。
沖浦さんの自在さから、わたしは大きなものを学んでいる。「環境文化論」(京造)の授業の組み立てのエッセンスは、沖浦ツアーのインドネシアの旅にある。芸術を「浮立」として定義しようという試みも(もうじき出る『芸術環境』の教科書参照)も、材料は宮沢賢治の「復命書」から取っているが、エッセンスにしているものはその沖浦インドネシア・ツアーだ。
うん、ちょっとやってみよう。そういう気になる。

サンカの存在柳田邦男 ...
大いに勉強にはなるが ...
幻 2001年に出た ...
この記事へのコメント
「サンカ」という存在も。勉強してみます。
「芸術環境」の教科書というのも気になります。