『土佐日記』 二 断腸の思い 土地について語る

少し気になることがあって、正月に岩波文庫の『土佐日記』を買って読みはじめていた。だが、数ページだけ読んで、そこで強く心に残ってしまうことがあた。それで読みさしにしていた。
今日、少し時間があったので、残りを全部読み通した。
やはりそうだった。
高校で習った説明では、仮名で日記を書いたことが文学史上の一大事件だということだったのだが、それは著者の貫之にとってはさして重要なことではないのだ。
一番重要なことは、彼が任地の土佐で、ひとりの娘を亡くしたことなのだ。
しかし、任期が終わり、今やその土佐を離れなければならない。
そのつらさ。
身につまされる話だ。
わたしもはじめて大学に職を得て、知る人のいない郡山に赴いたことがある。妻と幼い二人の子供(二歳と零歳)だけを連れての着任だった。
わたしの場合、郡山は大変仕合わせな生活で、誰ひとり失うこともなく、さらに三人目の子を得るという幸福にも恵まれたのだった。
ちょうど五年間暮らして、それから縁あって京都の大学に移った。
だがその五年間の生活もに、もし家族の誰かがひとりでも欠けたら、人生がどれだけ悲痛なものになるだろうかという予感は、いつも悪夢のようにつきまとっていた。
わたしの場合は、まったく幸いに、だれひとり欠けることなく、家族そろって京都圏に戻ってこれたのであるが。
上掲貫之の書の十二月廿七日のところにこんなくだりがある。
>京にて生れたりし女児、国にて俄に失せにしかば、この頃のいでたちいそぎをみれど、
>何言もいはず。京へかへるに、女児の亡きのみぞ悲しびふる。在る人々もえ耐へず。
船で土佐を離れてゆくときのことである。
これを読んで、その先が読めなくなってしまった。
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『土佐日記』は、土佐の地との別れを、貫之がみずから書き遺したものだ。
ここには、ひとと土地との関わりの最も本質的なものがあると思う。
別れの視線であること。その土地から永遠に別れる者の視線で描かれていること。
そしてその土地に心を、断つに断ち難い思いを、残していること。
この観点は、ひとがある土地、地域についての語るという営みの最も本質的なものを含んでいるだろう。
ひとは、この世を去る時、おそらくこの観点をもつ。
貫之は、任地の土佐で、ひとりの娘を亡くした。その地で埋葬したのであろう。
しかしやがて年月がすぎ、国守としての任期が終わる。土佐を離れ、京に戻らなければならない。
その辛さ、別れがたさ。
この思いこそ「地域学」のテーマではないか。
「地域学」の最も重要なテーマのひとつがここにあるはずだ。

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